散りゆく瞬間の美学。
〜京都・嵐山で出会った「風景」という名の空間〜

秋の深まりを、毎年これほどまでに待ちわびるようになったのは、いつの頃からでしょうか。 若い頃は、春の芽吹きや夏の高揚感に惹かれていたものですが、年齢を重ねた今の私にとって、紅葉を愛でる時間は、何にも代えがたい特別な楽しみになりました。
なぜ私たちは、枯れていく葉の姿に、こんなにも心を奪われるのでしょうか。
燃えるような赤、深みのある黄。 それは、終わりの色ではなく、命が最も輝くクライマックスの色だからかもしれません。散りゆくその一瞬に見せる静かな強さと美しさ。そこに、人の一生にも似た壮大な物語を感じてしまうのです。
今年も、インスピレーションを求めてさまざまな場所へ足を運びましたが、京都・嵐山で出会った景色は別格でした。
とりわけ息を呑んだのが、嵐山祐斎亭、文豪・川端康成が過ごした部屋からの眺めです。(※写真掲載位置)
窓枠という額縁に切り取られた、錦秋の山々。 そして、磨き抜かれた机の天板に映り込む、鮮烈な色彩のリフレクション。
そこには、現実の風景と、鏡像の風景が溶け合い、天地が曖昧になるような幻想的な「空間」が広がっていました。静かに流れる川の気配、山々の色彩、そして室内の静寂が見事なコントラストを描き、調和している。
それは、自然が描いた絵画であると同時に、人の手による「空間デザイン」の極致でもありました。 「外の景色を、いかにして室内に招き入れるか」 その計算され尽くした美意識に触れ、私はしばらく言葉を失い、ただその場に立ち尽くしました。
空間をつくるということは、単に壁や床を設えることではありません。 そこに射し込む光、窓から見える季節の移ろい、そしてそこに佇む人の心。それらすべてを「編集」し、一つの体験へと昇華させることなのだと、この景色は改めて教えてくれました。
美しいものを、ただ美しいと感じる心。 その素直な感動の積み重ねこそが、私のデザインの源泉です。
散りゆく紅葉が教えてくれた「儚さの中にある美」を、今度は私が、誰かのための空間としてカタチにしていきたいと思います。
また来年、この季節に、新しい自分としてこの景色に出会えることを楽しみに。
